東京地方裁判所 昭和42年(ワ)7015号 判決 1969年11月10日
原告 光信用金庫
理由
一、原告は信用金庫法に基き手形割引貸金等の業務をなすものであることは当事者間に争いがなく、その余の請求原因第(一)項の事実並びに同第(五)項の事実(原告と訴外林季子間の契約関係、並びにこれに基く取引の事実)は《証拠》を綜合してこれを認めることができる。右認定に反する証拠はない。
二、そこで先ず、被告本人が自分で本件連帯保証をしたかどうかについて検討するに、本件に顕われた証拠によつてはこれを認めるに足る証拠はない。
三、ところで、《証拠》を綜合すれば、原告は訴外林季子とは昭和三九年一二月三一日以前からの取引関係であつたが、同年一二月二〇日頃手形割引の継続的取引の申入れがあり、そのため連帯保証人を要求したところ、訴外林季子は被告の名刺を見せ被告が連帯保証人になつてくれると言う事であつた。そこで原告の職員山田真二郎は本件手形割引等の継続的取引契約に必要である取引約定書借入申入書などの用紙を訴外林季子に交付したところ、訴外林季子は同年一二月二八日頃借入申入書(甲第八号証)の連帯保証人の欄に被告の住所、氏名を書きその下に被告の押印をして持参し、次いで同年一二月三一日頃、被告を保証人とする取引約定書(甲第一号証)、印鑑届(甲第九号証)並びに被告の印鑑証明書(甲第七号証)を持参した。そこで、訴外山田真二郎は被告の印鑑証明書と他の書類の印鑑を照合したところ一致したので、被告本人は右取引には全然姿を見せず、かつそれまで面識はなかつたものの、その交渉は一切被告に委せてあると考え本件連帯保証契約をなした。
なお、その際、原告に提出された被告の右印鑑証明書が昭和三八年一〇月一一日付の古いものであつたので訴外林季子に対して新しいものを差入れて欲しい旨要求したところ、訴外人はこれに応じ直ちに昭和四〇年一月七日頃同日付の被告の印鑑証明書を持参し、更にその後も原告の要求に応じて、訴外林季子において再三被告の印鑑証明書並びに連帯保証人欄に被告の記名捺印のある借入申入書を持参するほか、被告の届出印鑑を持参するなどしたので、原告としては被告が本件連帯保証を了解し、その手続は訴外林季子に任せていたものと信じていたこと、並びに右書類中、被告名は訴外林季子において記入し、その名下の印影も訴外林季子において被告の印鑑を使用して捺印したことが認められる。右認定に反する証拠はない。
四、そこで先ず、右訴外林季子の行為につき被告が代理権を与えていたかどうかについて検討する。
ところで、本件被告の連帯保証契約につき被告が訴外林季子に右契約締結の代理権を与えていたことを裏付ける直接の証拠としては証人林季子が、原告支店から電話をして了解を受けたと言うのみであるが、右は《証拠》に照して直ちに信用でき難い。又、前記三、認定の事実中、訴外林季子が、原告の要求に応じて再三にわたり被告の印鑑証明書、被告を連帯保証人とする借用申入書、及び取引約定書等を提出し、かつ被告の届出印鑑を原告に持参しているなどの事実は、社会通念上届出印鑑は大切であつて、たやすく長期間数回にわたり他人に使用させることなどないこと及び印鑑証明書もたやすく第三者の入手でき難い事実に照して考察すれば、一応被告において訴外林季子に対し代理権を与えていたのでないかと言う有力な間接事実とは考えられるが、《証拠》を綜合すれば、被告は訴外林季子名義で帝都信用金庫から金員を借入れ、その支払が延び延びになつていたため、同金庫に差入れていた被告名義の手形を書換えるなどのため訴外林季子に印鑑並びに印鑑証明書を交付する機会があり、その機会を利用して訴外林季子に悪用されたとする被告本人尋問の結果、必ずしも不自然でないことが認められ、右の如き事情に照せば、前記事実をもつてしてもなお訴外林季子に代理権があつたとは認め難く、その他右事実を認めるに足る証拠はない。してみると、本件に顕れた証拠によつてはかなり有力な証拠があり、間接事実も認められるものの、必ずしも訴外林季子が本件連帯保証契約を結ぶ代理権を有していたものとは認め難く、従つて、原告の右主張は採用し難い。
五、次に表見代理の成否について検討する。
(1) 原告主張の請求原因第(四)項(1)の事実(基本代理権の存在)は当事者間に争いがない。
(2) そして、前記認定の三、四の事実を綜合すれば、訴外林季子の行為は被告の連帯保証に関しては権限踰越の行為と言わなければならない。
(3) そこで、右行為につき原告において訴外林季子に被告を代理する権限ありと信ずべき正当な理由があつたかどうかについて検討する。およそ、右表見代理につき代理権ありとの正当事由があつたかどうかの判断は、代理行為がなされた時の事情に限つてなされ、行為後の事情は考慮すべきでないと解されるところ、前記三、認定の事実によると、本件連帯保証契約当時原告は被告と面識はなかつたが、本人に真意をたしかめることもなく、ただ訴外林季子の言葉を信じ、関係者以外の人には入手し難い印鑑証明書その他形式的に書類がととのつていることをもつて直ちに被告において連帯保証をすることを了解し、直接の交渉を訴外林季子に任せていると考えたことが認められるところ甲第一号証の一、甲第八及び第九号証の存在によると、取引約定書(甲第一号証の一)中、林季子名下の印影は被告の印鑑によるものであり、又、取引約定書、借入申入書、印鑑届等の書類中林季子の署名と林田俊雄の記名とは同一筆蹟であることが認められ、その上前記三、認定のとおり、同日訴外林季子が持参した被告の印鑑証明書は一年以上も前に作成された古いものであるなど、かなり杜撰な取引であると言うべきところ、一方取引約定書(甲第一号証の一)は原告が訴外林に融通する金額の限度や保証期限の定めもないので連帯保証人において意外の巨額について保証の責任を負わなければならない虞があり、しかも《証拠》によると、被告は当時株式会社折込に勤務しており、勤務先に電話するなど、一寸した調査により被告の真意を確めることができたことが認められるのであるから、連帯保証人としての大きい責任を追求するためには、連帯保証人の真意を調査するのが金融機関として当然の取引上の義務であると解されるところ、原告はこれをしていないこと当事者間に争いのないところであるから、右の如く、訴外林季子の言を信じた等の事実があつたとしても、直ちに代理権ありと信ずべき正当な事由ありとは言い難く、その他右事実を認めるに足る証拠はない。従つて、爾余の判断をするまでもなく、原告の表見代理の主張もまた採用し難い。
なお、原告は、被告の住所が遠隔地であり、かつ原告は人員も少く事務が多忙で、庶民金融機関たる性質上その事務の停滞をさける上からも被告の真意を確めることはできず、右調査は欠いたことは取引上要請される注意義務を欠いた格段の事由とはならない旨主張しているところ、弁論の全趣旨によると、なる程事務所は人員も少く、事務も多忙であり、かつ被告の住所は原告の事務所からかなり隔つていることが認められるが前記認定の事実のとおり、被告の真意を確めるには電話を利用してもよく、格別の時間を必要とするものでもなく、一方被告としてはその責任が大きいのであるから、その責任を追求するためには、内部事情の難易にかかわらず十分調査してからなすのが金融機関としては普通要求される取引上の義務であると解するので、右のような主張は採用できない。
六、以上説示の理由により、原告の本訴請求は、爾余の判断をするまでもなく、理由がないから棄却